あらゆる自覚された長所は躓きの基である。それによって上から目線にならない者はいないから。それによって何の得るところも無く、むしろ失うのに。その者は低くされることが必ずある。べつにぼくは天が正義を行うなどと言うつもりはない。天の正義ぶりがどの程度のものであるかを知っているから。人間は、それを契機として自己反省に活かすだけのことである。天の知ったことではない。 

 

神を賢く知らない者は完結しない。 

 

 

言っておくが、いちばん上から目線なのはぼくなのである。そしてぼくには、この上から目線を承認する。ぼくはそういう、原則論からすればとんでもない者なのである。しかしだから、他の上から目線にはよく気がつき、それを嫌う。ぼくいがいにはこれを承認しない。ぼくにおいては、この上から目線は、いわば合法的なのである。ぼくはそれを固く信じている。正しい者には、ぼくのこの上から目線は、害があったり不愉快だったりすることはない、と思っているから。ぼくはそういう、至るべきところに至っている人間だと、じぶんで思っている者である。 

 

 

ぼくは、誰にもなれない人間なのではない。意識力を発動させれば誰でもなれる人間なのである。それでも少しもぼくに不都合はない。ぼくになれるのはぼくだけなのだから。 

 

 

魂としてこの世に生きようとする者は、この世の人間たちとどれほど熾烈に闘わねばならないか、ということを、昨日、簡潔に言おうとして、言葉にし、それを記そうとしたが、PCの操作に手間取って忘れてしまった。主旨のみここに記しておく。