一生かかって、魂の扱い方を知らないままで逝ってしまう人間が、多いのではないか。「この魂をどう扱ってゆけばいいのか解らない」という思いや経験こそ、人生の出発点であるべきなのに。それを知らない独り善がりで人生を送ってしまうことだけは、避けなければならない。それは人生を無にしてしまうことだと、ぼくは思う。討論や善行に秀でていても何にもならない。 

 

 

ぼくはもっと自信過剰なほどに自分の思い方・感じ方を主張してきて良かったのだと思う。周囲の圧力を感じすぎていた。ぼくがこれまで費やしてきた時間は、その確認にすぎなかった。 

 

 

 

いま、魂は世界的にひもじい思いをさせられている。相手の表情が見えなかったり距離をとらされたりしていることによってだけではなく、社会そのものの無教養によって。

 

 

動画広告によって分断されないためには、ここに移して視聴しなければならない。完全に正気の沙汰ではない。