最近、晩年のヤスパースが、自らの生涯を振り返って、「私は誠実ではなかった」、と告白しているそうであることが、伝えられた。これが事実としても、ぼくは何ら動じない。さすがはヤスパース、と思うだけである。「誠実」(原語はErnstであろう)は、多くの研究者によって、ヤスパースの哲学の本質、根本姿勢であると、云われているであろうことは、確かである。彼自身が、〈私は誠実である〉などと言ったからではない。自分でそういうことを言える誠実者は誰もいない。そういう原理的な視点からだけでなく、実際的にも、ほんとうに誠実な人間は誰もいない、とぼくは思うに至っているので、この覚記を書いているところなのだ。誠実であろうと努力することは、個々人、やっているつもりの者はいるだろう。しかしその場合でも、ほんとうに誠実らしい人間はいるかというと、いないとぼくは思うのである。それでも人間が生きているのは、敢えて言うが、誠実を超えた(外れた)何かに突き動かされているからである。それにしても、「私は誠実ではなかった」、とは、誰でも言えることではない。圧倒的多数の人間は、こういう言葉を言える次元の遙か手前で一生を生き終える。人間が、もしこういう言葉を告白できるくらい、真に反省できるのであれば、世界はもっと違っている。