辛い時にはマルテにおける状態の逆転を思うこと。

 

ぼくのみでなく、高田博厚の生にも関わるだろう。



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《「現代文学」の開始となる偉大な作品群のひとつに、いずれ数えられるようになる作品を、彼は生み出したのである。後に実存哲学の著述家たち・・・のもとで再び取りあげられるようになる問い、とりわけ、「このような生の諸要素がわれわれには全く理解できないのであれば、どうやってこの生を生きることができるのか」という問いを設定して、その答えを見出そうとした先駆的な、そして模範的な試みが、この書物なのである。》

《「一歩踏み出しさえすれば」と、マルテは言う、「ぼくのはてしなく深い悲惨は浄福に変わることだろう」。》 

《「今こそ、本当にすべてのものが本格的に始まるのです。哀れなマルテはあまりにも深刻な悲惨から始め、そして――もしも読者が正確に読み取ってくれるならば、――永遠の至福に到達したのです。彼は、一オクターブの全域を捉えている心です。彼が現われたあとでは、ほとんどもうどんな歌も可能です」。》 リルケ、1910年3月25日付

 

「リルケ」 ホルトゥーゼン 143-144頁

 

 

 

まさにぼくの状況と状態そのものである。