《あのように贋せものの多い、明晰な観念なるものを吟味する方法は、自由意志が、その観念をあるいは形成しようとし、あるいは破壊しようとして、自らの力を試してみることである。この二重の働きこそ観念を成立させるものであり、観念はこの働きによってしか存在しない。観念はそれだけで十分なものと解せられると、忽ちにして心像に堕するであろう。》 

アラン『デカルト』 112-113頁

 

 

ここに、自由意志、観念(悟性)、想像という、三つの人間能力の秩序が、みごとに活写されている。自由意志は、数学的悟性をも疑い超えてゆく力であり、まさにこの超越行為によって、悟性の領域のものである観念をはじめて明晰な、観念の名に価するものたらしめる。この力こそ、われわれにおいて常に働いておるべき《拒否の力》(112頁)なのである。 

 

知性とはまず、この自覚なのである。

 

 

 学歴社会の成り上がり者とは、この知性の自覚も無く暴走しているだけの者のことである。