あなた、そうとうストレス溜まってるわね。
そうさ。過去からいままでの日本人の記憶へのストレスで、その一人一人を銃殺刑にしなければ、とうてい治まらないようなストレスだ。全部ではないが、日本人は、いざというときの視点が一般に卑しいからね。それがよく解って、同じ次元に生きていない本質がはっきりしてくるほど、寛容とは程遠い感情が、ぼくのなかで反復され大きくつよくなってくる。つまり、処刑しかない、ということだ。ぼくは、じぶんの世界のなかで、くり返し処刑している。これを完全に遂行してはじめて、ぼくは安らかになるだろう。それにしても日本人は一般に、どうしてこう馬鹿なんだろうね。おとなしくしている馬鹿じゃない。個人の領域に平気で言動してくる馬鹿だ。許すことではないよ。言動に時効は無い。いまも、鬱積している気持に駆られて、吐き出してすこしでも楽になろうと、起きて書いているところだよ。銃殺刑の意志をますます固めること。経験はそちらにぼくをみちびいている。身体なんか殺しても何にもならない。存在そのものを殺すんだ。ぼくのなかでね。これこそ殺しだ。見極めがつかないうちは あやふやに生かしていたが、時が経ってぼくのなかで判断力が増すにつれ、銃殺刑判決が多くなっている。こうして最後の審判は仮借なく執行されるんだね。これは、人間精神が正しく成長した結果だよ。最後に審判に至るのは。審判者になれる資格の者は稀だ。真実はね、世で一般にいわれていることとは違うんだよ。
さあ、もう寝るよ。