いやあ、ほんとに、内部はひとそれぞれだなあ。ひとの、外見には出さない内部のあることに気づくと、田舎も興味ある場所になるよ。ひとの内部への畏敬とともにね。むしろ外的刺激をもとめて田舎をつまらないとおもうインテリこそ、うわべの人間なんだ。
いいことに気づいたわね。それをわすれないようにね …
いい経験をさせてもらったんだよ 人間はそれで生きてるんだなあ
感じることと信じることがひとつであるところに魂は相互主体的に存在する。 ぼくの欠点はこういう公式的な言葉をすぐに紡ぐところにあるけれど、こういうことも いちおう言いながら、具体的な経験と感覚をわすれないこと … 哲学的な言葉の原罪を意識すること
哲学者は哲学者としてはけっして充分にひとりの人間となってはいない。
そうそう、きょうは大先生の命日だよ。しかし命日というものがなぜあるのかなあ。生きることをかんがえるのが大事なんだ。死者とともに生きているんじゃない。生きている者とともに生きているんだ。だれがぼくとともに生きているのか。それが大事なんだ。 魔が憑いていることを知ってしまった周りの者とは、仮の共生でしかない。様子をみながらのね。 それでちっともぼくはかまわない。 「ほんとうにともに生きる」は、まったくちがったところにある。
ほんとうはみんな多かれ少なかれ、半ば騙されたふりをして生きているのだとおもうわ。それぞれ自分勝手だから。
ほんとうに信頼するということを知っている人間は少数だ。
あなたはあなたらしくあるのがいちばんよ。じぶんらしくあることを肯定できるひとって幸運で素晴らしいとおもうわ。