テーマ:
 
自分が病気あるいは不具になったことを嘆いたり怨んだりしても甲斐はないからの自分を引き受けて為し得ることを為して生きるべきだというのを、否定するのではない。それどころか私が実際に為しているのはそのこと(為し得ることを為して生きる)である。「実際に」と私は言った。つまり実践的には、結果的には、私はそうしているのである。しかし私にはそれ以外に思うことをやめるわけにはゆかない。気づいてしまった此の世の原理を牛耳っている意志的存在、これをどう呼ぼうと、これにたいし形而上的な怒りを内的に向けることは、私の放棄するつもりのない現在の生の通奏低音(むしろ底音)なのである。私の精神意識の根底には常にこの、創造主を敵と見做す態度がある。以前の私はそうではなく、逆に創造主を素朴に「善なる神」と見做し、それに依って(拠って)立って生きていた。私は「神」へ向って生きていたから、「神」が私を裏切るなど想像しなかった。今も私の生は、神の探求であることが深奥の意味である。私が生きることは常に私の求める神との問答(答えの有無に関らない問答)なのである。現在、現実の創造主にたいしては不審と怒りと侮蔑しか事実的には私には無い。だから今私が求めている神は、以前のように求めているのではあるが、此の世の現実の創造主ではない。いかなる実際的な〈導き〉と思われる出来事も却って地獄の門であり得る両義性を持っていることを私は既に経験してきた。求める「神」はそういうところとは違う次元にあることが私の内で意識されてきた。この意味で集合的容喙現象の経験は私にとって決定的な意味を持っている。こんな、神的な力なしにはできない現象を少なくとも許容し、私が神の探求に捧げてきた積み重ねを潰した存在が、何で私が頭を垂れる神であるものか。むしろ悪魔である。私がどんな経験をしてきたか了解しえない総ての者は、私の判断に何の反論する権利も無い。神学者だけが反論するであろう。私は既にその脳天を叩き割っている。高田博厚の思惟には、「神」と「創造主」を結びつけるいかなる動きも無い彼は、私の経験に相当するものなど、その苛酷な人生でとくに経てきたであろう。しかも彼は神を求める。これはどういうことであるのか私自身の、現在の経験に基づく神への態度の更新変化、むしろ純化が、高田の神への思惟と態度に照応してきていると私は思っている。この境位から、いっそう奥に入った高田の思想との関わりに生きることが、私の現在為すべきことである。私の現在の思惟行為(思索)の基には、単に嘆くなど超越した形而上的怒りが一源泉となって生きている。「存在への問い」のあるところ、創造主と神とへの問いがある。自らの自己(魂)に想到する者には、この二つの窮極なるもの(以前は素朴に一つと見做されていた)は、自らの自己が不可避的に己れを対応させるところのものとして、この自己の前に立ち現れてくる。この二重の窮極存在への二律背反的(何故なら創造主と神は今や本性的に背反し合うから)な問いそのものを放棄しようとする者は、己れ自身への問いそのものを放棄する者である。小林秀雄はこの「神」の問題の前で挫折した。それに応じて、あれほどの知性と感性と努力心を有しながら、人間自己の問題そのものをいい加減なところでお茶を濁したと私は感じている。高田のような貫徹した心根(魂的態度)は無かった。「批評の神様」であっても、私の師などで到底ある訳はない。そういう「魂の出会い」は彼には経験しなかった。このことは、彼からいかに吸収しうるものがあるにせよ、はっきり言っておく。彼を越えて探求することは知性感性の問題ではない。自己への態度の本物さの問題である。


_____
「神」は、在るか無いかの問題ではない。自分の魂を想うなら、必然的に自分の前に想われ、自分の魂を肯定するなら同時に必然的に肯定しなければならないものです。自分の魂だけ肯定するわけにはゆきません。「自分自身」を突き詰めるとこのことに気づきます。そういう仕方で「神」を人は「信じる」のです。


_____
_____
『得体の知れない集合的容喙力に呑み込まれ傀儡となった周囲の者達を、私は哀れなものだと思っている。それにしてもこの力は、人間の人生に対する、戦争と全く同一質の完全な横槍である。つまり、その原因は、無くても済んだ或る「意志」である。だから「敵」だと私は言っているのである。この力は、諦めるしかない無自覚な自然力とは違う。このことは私の譲ることの出来ぬ根本経験である。ともあれ私のこの周囲人達は、私ははっきり判断し断定するが、各々の元の自発的人格をもはや有してはいない。目の前にいる人間共が私にとっては「死人」なのである。(・・・
・・・
・・・) 読者よ、私が今ここに述べたことは完全な現実の報告なのである。嘘なら私の首を胴体から断ってよい。遂に書くことが出来たので、上の文に付帯して書き始めたのだが、これを独立させて一節とすることにする。この箇所と二重になるが、いまからその作業に入る。(15:10)』 この内容箇所を次節〔459 容喙現象に伴う薬害報告〕に移した。