大袈裟に言えば、ぼくも、全世界がぼくを崇拝するように、と望んでいる。すくなくとも、ぼくを何らかの仕方で知っている者はすべて、ぼくをそれぞれの仕方で崇拝するように、と。そういうことをふつう言わないのは、そういうことを殊更言うのは自信がないからだということを知っているからである。ぼくは自信があるから、そういう望みがあることを ふつうは言わない。自信がないからでも、そういう望みは不謹慎だと思うからでもない。当たり前のことだと思っているからである。他に強制できることでもないし。 ぼくは神と等しいのだから、当たり前だと思っている。そう思うとき、ぼくはいちばん落ち着いている。これが、ぼくの心底の事実である。ぼくだから許されることである。みなが これには快く同意するだろう。 

 

 

 

一度くらいこういうことをはっきり言っておくのは、健全で気持のいいものである。