起こったこと、起してしまったことについては、すべては必然だと思い、これからのことには、ぼくの自由だと思う。存在の本性いがいのことは起こらないと思えば、ここに矛盾は無い。ぼくは、後悔することについて、ほんとうの根拠を知らない。何がじぶんの責任なのか解らない。ならば、いっさいは必然である。これからも、ぼくの、すなわち存在の(スピノザの神の)本性にもとづいて自由に意志するだろう。後悔や不安はすべて無根拠な虚妄であることを言いたいのだ。