ぼくのささやかな人生経験からも、学識と知性とは全く別であると断定できる。ここにこれを書くのは、いま、ぼくの過去の経験が、ぼくにそう断定させるほどに忽然と結晶したからである。まったくとんでもない、しかし承認しなければならない認識である。書物上の見識と、じっさいの生活における知性行為とは、何の関係も無いと断定してよいのである。そのくらい、学問研究者、学者のなかに、ぼくはおびただしい阿呆を経験してきた。美術家のなかにも、と付け加えておこう。いくら学問や美の追求をしても、日本という空間を一歩も越えていない。そういう日本人を、ぼくはつくづく情けなく思う。