2015.5.2 

 

知性とは、もはや〔情念によって〕曇らされない愛情であり、運命から独立した情熱である。自立的となった信頼。
きみは、きみのすべてで、いつもこの生きた観念をぼくのなかに呼び起こしてくれる
深く信仰的な、知的に信仰的な、純粋に信仰的な何かを感じる。
とても自立的なもの。「知性」と呼ぶしかないもの、むしろ「知性」という言葉を定義すると思われるもの。

 

きみが美の世界に真摯に しかし歓びをもって向き合い、没入というより集中して対峙している、そういうかたちでの帰依的な関わりかたが、知性性と信仰性をともにぼくに感じさせるのです。きみの美の行為においては「知性」と「信仰」が分離せず一つで、まさに感覚を通してイデアに向かう高田先生の態度の本質を彷彿させます。そこでは「感覚そのものの合理」が言われます。すなわちイデアとは感覚美の本質構造であり、美を美たらしめている原理であるとも言えるでしょう。このゆえに美感覚そのものが、合理を求める知性の真剣な対象となるのです。



きみがいつも、「大丈夫、心配しないで」 と言ってくれていると感じる、きみへの信頼の感情、ぼくを自立的に信頼してくれていると感じるから覚えるきみへの信頼、それを反省すると、このような言葉〔端的には上の文節の第一行〕がぼくのなかで かたち をとったのです。

ぼくたちは月のようにおたがいの光を反射しているようにもおもえます。自立的でありながら反射し合っている。ぼくたち月の光はどこから来るのでしょうか。ぼくはあなたの内から太陽が照っていると感じます。でも あなたも照らされ暖められていると感じるなら、きっとそこにぼくたちが「神」をもとめる理由があるのでしょうね。


ぼくが向き合うのは、真剣にピアノに向き合って自分の本当を現しているあなたです。そして、あの音楽演奏を創造するあなたの本質を彷彿させるあなたの映像を見出すと、心底感動するのです。どんな巨匠も描けない。