こういうものは読み返さなくては。 



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ほうらね、スピリチュアリストのもの言いと、集合容喙被害者の実感とは、対立してきたでしょ。形而上次元で積極的な悪の力をみとめるか否か、これは議論しても、啓示でも霊的証言でも、決着はつかないんですよ。言葉や権威ではどうにもならない。自分の感覚で判断しなくては。その点でもスピリチュアリストは矛盾したことを言ってますよね。言わせておくがいいさ。こちらはずっとその先を行ってるんだから。 

 

 

それより、先制攻撃というのは、ほんとうに勇気の要ることだと思う。それが正しかったか否か、実際の勝利によっても解らないのだから。ヒトラーの行動を最初のうちに叩いておいたとしても、あの未曾有の大惨事を経験せずに済んだ分だけ、先制攻撃の是非は検証の場を歴史において持たなかったであろうのと同じだ。ぼくはここで、いまの世界情勢のことをかんがえているのではない。もっと身近な、日常の社会問題を思っている。 自分の感覚・感情を信じて行動することは、たいへんな勇気と度胸が要るものだ。覚悟と、自分の主観的確信のみに拠る平静、いや、それよりもっと上の意識、どれだけの者がそれを理性的に持ちうるだろうか。

 

 ずっとそれをおもっている。