人間は、日常的に、相手の魂を損ない苦しめることを欲し、行っている。社会間で、家族間で、親子間、兄弟間で。それがその共同体に属する者の特権であるかのように。そのかぎり、容喙行為を起こす存在も、そういう人間の延長上にあるのである。同様に独善と偽善になりきりながら。
いかに嬉々としてそれを行っていることか。このことについて懺悔しないかぎり人間は救われない。
本性的に、あるいは反省的に、これから免れている者の いかに稀なことか! そのかぎり、正論などなんの価値もない。
ねえ、どうしてそういうことを強く気づくの ?
ピアノの美しい旋律・和音に集中して無心になっているときにね。 反省しようとしてできるものじゃない。 きみもきっと美に集中しているから、心がきれいなんだよ。