ぼくの場合、共感できるものにのめり込めば、それが真理に至る。ものであれ ひとであれ。 


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ロシア人だからロシアに郷愁するのではない。ロシアには、普遍的な故郷性があるのだ。 それがリルケの言うロシア(みずから体験した)である。 

 

 

『あなたにとってあなたの風景が意味するもの、それはすなわち故郷と天空ですが、ぼくにとってはなんといってもロシアがそれなのです』。(1900年10月18日付)

 

『あなたがたの故郷をひとめ見たときから、それはぼくにとってたんなる温かい異郷以上のものでした。それはまさに故郷であり、そこに人間が生きているのを見ることのできた最初の故郷でした(よそでは誰もが異郷に住み、すべての故郷がからっぽになっているのです)』。(1900年10月18日付) (傍線は原文では傍点)

 

「リルケ」 理想社 73頁 

 

 

 

 

タルコフスキーの映像作品を通して感じる独特なものは、タルコフスキーによってつくられているよりも、ロシアの風土がタルコフスキーにつくらせているものらしいことを、他の作者の作品の経験からも、感じていたけれども、リルケもきっと、ロシアそのものを体験して、ぼくとも共有できるような根源的原体験を得たのだろう。 ぼくも自分の感覚にかなり信頼してよいとあらためておもう。