ぼくは昔から、誰より自分を疑い、確信ありげに言動する他の人間に最大限注意して何かを学ぼうとしてきた。しかしその結果得た認識は、ぼくのように自分を疑い反省する者はひとりもおらず、みな、じぶんの直接的な感情をそのまま肯定し他にも押しつけることを、無反省でやっている、ということであった。そして、そこに確かなものはひとつもなく、かえって、ぼくが自分を疑いながらも懐いていたぼく自身の密かな感覚や感情のほうに、いまにいたるまで、確かなもののすべてを見いだしてきた、ということであった。