人間はやはり生活の中心に、哲学を求める心がなくてはならない。人間生活が現在これだけでたらめになったのは、楽しければよいという享楽主義の態度の成れの果てである。哲学は真理を求めるとぼくは言い、しかし魂はもっと大事だ、ということを言ったが、それはぼくのような哲学の達人だから言えることであり、まず、真理を求める哲学の心がなくてはならない。ぼくも人生の出発においてそうであった。まず基本において人間は真面目な堅物でなければならない。そうでなければものにならない。ぼくも現在は自由でラフなもの言いをもするが、そこまで至った経緯が違い、そのもの言いをする精神の蓄積と基礎が違う。だから、そういうもののないちゃらんぽらんな人間は、ぼくからはじき飛ばされるか、正面から叩き斬られる。本質はものすごい硬派なのだということを、ゆめゆめ忘れてはならない。 

 

不真面目な者は叩き斬るような生真面目さが、人間には人格の核心に必要なのだ。それが哲学の心である。日本では、ぼく以外の哲学者は信じるな。そして自ら哲学せよ。教授も研究者も当てにならぬ。ぼくの精神を自分のものとせよ。