この世は変化した。ぼくの魂のみが存続する(変わらない)。変わらず存続させることは行為であり仕事である。受動的な状態ではなくその反対である。 

 

 

ぼくがじぶんの人生の出発点に抱いた理念に忠実であるかぎり、ぼくは深化しつつ不変なのである。 その理念は「自己」への理念なのだから。 

 

 

ぼくには、ヤスパースの言う「永遠の青春」がある。これが哲学を実践することによる力だ。

 

しかし哲学の力は、自己の力にほかならない。

 

 

 

よのなかの人間は、動物よりもぼくにとって疎遠である。動物には動物の「存在」への徹し方というものがある。人間においては、哲学する者(それと同等な生き方をしている者)のみが、「存在」に徹することができる。その中間の世人は、迷妄のなかで生活しているだけである。その魑魅魍魎ぶりが、ぼくにはおぞましい。これは軽蔑することではない。迷妄のなかで彼らは彼らなりに生きている。本能的に正しい生き方をしていることもあるだろう。ただぼくは、哲学のない者には関わらない(関わるようにみえても)。そして、哲学を持っているつもりの者にも関わらない。ぼくのように正しい哲学を懐いている者など、日本にはいないから。ぼくにはぼくの天命(天からの使命)があり、暇ではない。

 

いじょうは、ぼくが本気で愛する気持のない人々についてである。