「いま ここ」の自分に目覚めるということは、肯定すべき創造的無責任である。過去を引きずらない「本源の自分」に目覚めることだから。これは、立ち直りの秘訣としてすでに言ったことである。誠実さには陥穽があることも同時に言っている。ほんとうに忠実を持続させるためには、過去を引きずらない「創造的無責任」が必要である。 

 

 それに、この世で起こることは、ぼくだけに責任があるということは ぜったいにない。

 

 

 

それに、自分の本質と関係のない記憶(過去の出来事の)は、たしかに捨てればよい。

 

美的な記憶のみが残ればよい。本質形成的な創造的記憶のみが。

 

(いまこのときも茶々を入れる愚劣な創造主もぼくには何の関係もない)

 

 

 

ぼくは、自己が創造的であるための「創造的無責任」と言ったが、創造的な自己にとっては、この「無責任」は、まさに自己への責任ある態度なのである。