日本では哲学徒でも人間関係で生きていて、孤独者として生きていない。そのとばっちりをぼくはずいぶん受けたが、それも後で、いまごろになって気づいたのであって、このとばっちりがなければ、日本の広範な(そう言ってよいだろう)哲学徒についてのこういう認識も、ぼくは持つことはなかっただろう。 

 

 

 

 

ぼくはあらためて、腰を据えて個人主義を実験する。 この言葉が気に入っている。