他への言葉による暴力・無礼というものは、良心から悔い懺悔しなければ、けっして許されるものではない。言われた本人がその記憶のためにずっと苦しんでいるのに、言った当人が安泰ということはけっしてありえないのだ。悔い改めもしないのに、のほほんといい気に楽しく生きるということはない。悔い改めなければ死罪。高貴な者の心に傷をつけた者は死罪。あたりまえのことではないか。そういう者の生きる権利をぼくは認めない。くだらない者は死罪。これはぼくが、この世に立てる律法であり命令である。「神」もそれを欲するという確信をもって。

 

 ぼくの言うのは、宗教家の独善・独断とは、わけがちがう。ぼくが欲し、それを神も肯定するだろう、と言うのだから。これは神の名の許の自己隠蔽ではなく、自己確信が先にある。