徹底した個人主義は、与えられた事実を乗り越えてゆく。「自分(の世界)」こそ大事だからである。与えられた事実の不快に制約されないで乗り越えてゆく。 

 

 

たとえば他人が実際にどういう者であるかにぼくは興味はない。ぼくにとって快適な者であればよいのだ。

 そういう(快適な)者にしないのは、ぼく自身にとってのぼくの罪である。(このことについてぼくは自分を懺悔する。)