どうしたの?

 

うん、たとえ大先生の世界への沈潜でも、きみから離れそうになると、ぼくは容易に余裕を失ってしまう。じぶんが盤石でなくなるんだ。ぼくは、大先生あってのぼくだと言ったけど、それはいいんだが、それいじょうに、きみあってのぼくなんだ。 大先生が、ラファエロやヴァグネルを知ることの重大さをいかに強調しようとも、「自分を得る」ことが核心であるなら、ぼくはきみと一緒に落ち着いてあることで、すぐにぼくになれる。この平和と満たされた気持は、たぶん、ギリシャに行っても、得られないか、じぶんにもうあるこの気持をたしかめるだけのような気がする。「人間の愛」、それはきみとの愛のほかにもとめられようもないじゃないか。

 

 

そういうことを昨夜たしかめたんだよ。大先生の本を熱を入れて読みながらね。 きみとの愛のなかにぼくをたしかめながらでなくては、没入もあぶないんだ。 あらぬところへ彷徨ってしまう。 ぼくは、ぼくに必要なものだけをもとめる。 きみこそはぼくの砦なんだ。ぼくはこの砦を出るような勉強はしない。

 

 

 

 

 

(ここを整理し終えた瞬間、比較的近くにある港の汽船の汽笛が鳴った。共時現象も時々夢を与えてくれるようなことをする。)