高田さんの情景描写の、読む者の心への浸透力は、それが自我感情と一つであることから、来る。 外部の情景が、自己の内部に向って開かれた窓へと転化している。 これが高田さんの文章の魅力の精髄である。

 

 

孤独な魂の美しさとなった外部の美しさ 

 

これは絵画の精髄でもあろう 

 

 

 

こういう文章に接するのは何という幸福であろうか。「存在する文章」といえるとおもう。 「彫刻」の本義をあらわしている。 「安らかに在るというより、在ることの安らかさ」 という高田さんの言葉を思いだす。たとえその自我が、生の根源的な不安のなかにあるにせよ、それゆえにこそ自我をそれほどに魂的に覚えるとしたら、不安もまた恩寵ではないか。そこには、「永遠にとどめたい」ものがある。それが「イデー」なのであろう。