あんまり書きすぎたから、大事なことだけ簡潔に書いてゆこう。

 

 

信じることは大事である。信じることは意志することだから。信じるかぎり生きる。よく5年もじぶんを騙して生きてきたなあ、とは言わない。ぼくの魂を生きてきたのだから、ほんとうに生きたのである。

 

これからどうするんだろう。じぶんの魂を生きるしかない。これは信仰を生きることである。この世に反して生きることである。学ぶことはいくらでもあるはずだ。じぶんのなかから学ぶことがいちばん大きい。

 

 

書くことは大事である。書くことで、日常に浸っていると忘れかけることを思いだす。 

 

書くことは、決意すること。

 

 

 

 

このおそろしい薬害身体で生きることがどういうことか。並大抵のことではない。周囲の人間たちは、ぼくを気遣わないよう意識のロボトミー操作を受けている。まちがいなく悪魔はいるのだ。

 このことは時々言うべきである。

 

 

 

光明思想を実現するには、悪魔に騙されることなく悪魔と駆け引きするという、付録を付加しなければならない。

 

 

 

ぼくは、正常な身体で生きている者の思想、普通の状況で生きている者の思想、は、受けつけなくなっている。幸運な者の戯れだ。

 

 

現在、空白を漂っている。奇蹟が起きればよい。

 

死が消滅ではなく帰還なら、いまのぼくこそ、死以下である。

 

 

生が、創造主からではなく、超越者から贈られている、と意識転換すること。