整理して再呈示 (他欄)。 価値は褪せていない。

 

精神の自立ができている主体的な感謝のみが正しい。



テーマ:
 

『 真実の目

 

外へ向かう目には悪魔の嘘が混じり真実を見失わせます

 

知恵と知性でうちに向かう目を養って心の目で真実を見極めてください
 

悪魔について  

悪魔について書いてみます

悪魔は秘密は人目のつくところにおいて置くはずがないという盲点(誇示隠匿)という手法を好んで使い、人間に悟らせないように真相をよく明示していることがある(気がつかない人間は陵辱されている


人を騙すための嘘と奇麗事を平然と並べ立てる


影で行っている悪行をまるで善行のように振舞いそれを人間に感謝をさせる


自分たちの策略で不幸になっていく人間を、何食わぬ顔で助け感謝させる


自分たちの敵である善の者達を必要以上に助けながら隙があれば罠に貶める


彼らの敵が亡くなれば大々的に美化運動を巻き起こす


これら手法には魔力というものが発生するらしいです。
この魔力は、まさかという盲点から抜け出せない人間にかけられた催眠術のことと考えれば良いのではないかと思います。
うまく説明できませんが精神世界で人を惑わす力として作用しているなら、確かに魔の力ではないかと思います。
人の盲点をついて巧妙な手法でその存在を意識させず、その意識を操り、なおかつそれに気がつかない人間を翻弄し陵辱し続けていく。

私は彼らはこの現実に存在していると感じています。
身の回りにも世の中のどこにでも。

ただ悪魔といっても人間らしい者もなかにはいるとも思っています。




彼らは今、さらに暗示をかけて人間を悪魔化(獣化)しているのかもしれません。

現実の中で刷り込まれていく彼らの暗示と、集ストによる間接的な手法で、本人に気がつかせず(不覚法という催眠術で魔力を込めて)、長い時間をかけて徐々に心と意思を奪い、かわりにその体のなかにどんどん憎悪、悪意が吹き込まれ、悪魔化(獣化)されていくのかもしれません。

獣と化した人は強いものに媚びへつらい弱いものを虐げる
抵抗も反抗もなく無気力、無関心、そして彼ら悪魔の世界で奉仕させられてゆく存在になるのではないかと思います。




今、彼らが不覚法によって多くの人の気がつかないように666をばら撒いて見えない誇示をしているということに気がついてください。

まず彼らの催眠術(魔力)を解くには、その手法を知ることではないかと思います。

誰かの価値観に感化されずに自分の心にある正しさと心の尊厳を養って自分の判断で行動するということ。
不安と欲望に縛られず心に自由になっていくこと
何事もあきらめずに、できるまでただやりつづけること

悪魔の支配する世の中に流されないでください。
自分の心で望んだように人生の舵を自分で取って生きていくことをしてください。

 

 

もしも集団ストーカーというものが社会システムそのものであるとしたら。
こんなことはありえないと思う方がいるかもしれませんが。

表向きの彼らは偽善と潔癖と無関係を装いカモフラージュしながら、裏では人々の心理と運命を操っているとしたら。
私はすでにこの社会は闇のネットワークが網の目のように張り巡らされていて、政治、経済、教育機関、マスメディア、公権力までどこまでも彼らの力は及んでいると思っています。
一見、この世界は自由で平等のように見えますが、私たちはとんでもない世界に生きている
のだとしたら。

マスメディアとは真実を語る機関ではなく、人々の心理操作と欲望と不安をあおる媒体であり、インターネットも同様に情報の大洪水から多くの嘘がばら撒かれているので、真実を探すにはいくつもの騙しのバリアを突破しなければいけません。

多くの人はこの現実で欲望に溺れ、自分が見えるものしか信じない、見えないものは疑い、不安からは逃げようとします。
彼らはこの人間の心理を巧妙な手法で操りながらこの現実を動かしているのです。

集団ストーカー、電磁波被害、思考盗聴、音声送信、被害者が訴えていることはまるで映画の話のようですが、多くの被害者はフィクションのような非現実的日常を体験していますが、この体験は被害妄想でも統合失調症でもなく、まぎれもない真実なのです。

 



嘘は平気でつき自分達の正当化には躍起になる。
都合の悪いことは沈黙して次から次へと情報の大洪水を起こす。
偽善と潔癖で正体を隠しながら自作自演で人を騙す。


 彼らは私達の常識の外に隠れているのです。
私達は視野を広げて隠れた彼らの存在と世界の欺瞞に気がつかなくてはいけません。』

 

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以上、他欄より(原文のままだが、この再呈示では整理して省略している部分あり)。傍線引用者。わたしの信念とぴたりと一致する観点と見識多し。
特に悪魔については、わたしが辛苦をもって経験し気づいたことそのまま。

自ずから感謝するのはよいが、教義となった感謝意志は悪魔教となる、という、わたしの理解に、まだ反論する者がいるだろうか。

引用した文の筆者に、わたしは心から感謝する。わたしの経験し感知してきたことを、はっきりと言葉にし肯定してくれたから。

感謝教は悪魔教である、そうわたしははっきり断定する。