ぼくの自慢は、意識が明晰であり、死を思わないことである。だからぼくには死な無いだろう。ある時期が来ればさすがにもう充分だと思い、ぼくのほうから幽体離脱することはあるだろうが、それは死ではない。死を受け入れるのではないのだ。死にそうな人間は、どこかじぶんで死を常識的に受け入れている感じがある。そういう意識はどうもぼくには無い。だからこの世に生きる意志があるかぎり生き、それから別の生への移行があるだけだろう。 

 

 

この世にあるかぎりは、自分を見失わない方法で、勉強する。それが「経験」である。

 

 

ただはっきり言っておかなければならないのは、集合容喙の経験が教えたように、創造主は、人間の純粋で中庸を得た幸福や志の成就にたいして、明白な悪意を持っており、幸福を小出しにしながら人間を外的なものに服従させようとする意志を持っている、ということである。この点、ぼくは光明思想派ではない。経験上、神と創造主を分けている。とくにぼくの場合、強制薬害によって、人生の住居(身体)を違うものにさせられている。これはぜったいにゆるさない。そのなかで、自分に出来る幸福を得ようとしている。甘受しているのではない。 

 

 

この世で生きるとは、悪意を持った偽善者である創造主との駆け引きであり、その状況のなかで自分の純粋なものを成就する闘いである。

抜け目ない王を立てつつ、それ以上の抜け目なさで王から搾取するのと同じである。 

 

 

 

 

 

このアメーバブログも、評価すべき改善点はあるものの、もともとあった「思想・芸術」ジャンルを、いまだに復活させていない。どういう背景があるのかは知らないが、不満は様々に推測をさせる。真面目に文化と幸福に貢献してほしいと思う。当たり前の落ち着いた安定したブログにしてほしい。