人間が本物であるかどうかは、そのものの言い方によってすべて判る。 

 

 

この一文で、ぼくには、ぼくがこれまで人間を判断してきた仕方と、その妥当であることが、まざまざと解る。

 

 

本物はああいう言い方をしない、というものばかり。(「殆ど」の強調形)

 

そういうものをどうしてぼくがおそれる必要があるか