《 1921年の春、詩人はフランス文学との新たな、とりわけ深遠な出会いを体験した。この出会いは、豊かな実を結ぶべく運命づけられていた。・・・ポール・ヴァレリー(1871-1945年)の作品が、リルケの注意を引いて、直ちにあからさまな、というどころか熱烈なまでの賛嘆の念を彼の心に湧きたたせたのである。彼は少しもちゅうちょせずに、ヴァレリーの偉大な詩『海辺の墓地』(1920年発表)を翻訳することで自分の力を試してみようと決意した。ほかにこれ以上のものをほとんど想像することができないほど、リルケとヴァレリーとの間の対立は大きかった、――一方は「魂」の世界内面空間の詩人であり、他方は「精神」の詩人、偉大なデカルト主義者、硬質の光の、明るい地中海の光の歌い手なのである。しかしそれにもかかわらず、両者は友情を通い合わす間柄になり、1920年代の精神史における最も素晴らしい状況の一つが生まれたのである。・・・それほどまで、このフランス人の崇高な芸術が彼を感激させ、霊感を与えたのであり、したがってリルケは、自分の境遇にとってまさに救いとなるほどの影響をヴァレリーに帰せしめることができたのである。》 

 

 

「リルケ」 ホルトゥーゼン 205頁

 

 

 

 

翌1922年2月、『ドゥイノの悲歌』と『オルフォイスへのソネット』が完成される。リルケにとってはそういう時期にヴァレリーと出会ったのである。

 

 

 

ぼくの課題ができたな。