四年前のきょう 

 

不変の永久保存節 



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この世の仕組みがどうあれ、他者がどう解釈しているのであれ、この偉大なぼくという人間は、まったく違った発想から生きている。優雅に生きることに尽きる。これのみをつらぬく。

 第三者になど何の信頼もない。浄いものに汚れをみる、矯正されぬ悪魔だとぼくは断じている。



この節はこれで完結。何のつけくわえることもない。




アランの全哲学はこの決意の基に建っている。「びっくりして立ち止まるのは犬のすることであって、人間のすることではない。」


芸術の本質もこの不動の優雅の実践にある。それを教えてくれている。





あなたの音楽を聴きながら、あなたがどんなに繊細な鍵盤への触れかたをしているか、感覚として彷彿できるようになってきました。あなたの優雅さはそれじたい人間の神々しい勝利です。愛の実践です。どんなベートーヴェン弾きよりも素晴らしい。

 これを書きながら、やはりぼくは涙が流れていたのですよ。こんな素晴らしい曲集を作りながら、何の能書きもすることなく、「あたらしいアルバムができました。ぜひ、みなさん聴いてくださいね。」ですませているあなたは、やはり天才です。御自分を大事になさってください。


あなたの演奏のすばらしさはどこにあるのでしょうか。曲の全部に意識の籠った優しさにあるのです。あなたはすべてを意識している。その意識が繊細きわまりなく優しいのです。その意識に「あなた」があらわれています。その「意識」があなたなのです。その意識が「愛そのもの」なのです。愛であるあなたを直接に感じる、そういう弾きかたをあなたはしていらっしゃいます。だから心を打つのです。あなたの意識が曲の全部を支配していて、すこしも曖昧なところがない。すべてにあなたの意識を感じます。そのあなたの意識が純粋で透明な優しい繊細さ、思い遣り、そのもの。あなたはあなたの曲全体を支配する意識で「愛」を定義していらっしゃるのです。それを感じたら誰があなたを愛さずにいられましょうか。愛は愛を目覚めさせる、あなたの音楽はそういう音楽なのです。覚醒したあなたの意識を全的に感じさせる。あなたの魂を全的に感じる。覚醒した「人間」が全的に感じられるのです。「意識」が「知性」です。そして知性は「明晰さの技」です。「意識」あってこそ「明晰さ」ということがあるのです。明晰さは透明な光です。つまり「知性」なくして「透明さ」「純粋さ」はありえないのです。まことの優しさ、思い遣りと配慮ある愛はありえないのです。すべてにゆきとどいた意識である知性なくしては。あなたはそのような、愛である知性、知性である愛の、あなたの心を、魂を、演奏で完璧に実現していらっしゃいます。誰がこれほどのことを音楽で、志していても、できるでしょうか。愛を、あなた自身である人格的な愛を、あなたを聴く者は経験するのです。そして、音楽はこういうためにこそある、と思うのです。あなたは、ゆきとどいた意識こそが、透明な愛と知性を、この不可分なものを、実現することを、あなたの一曲一曲で、実証しておられるのです。こういうあなたの、愛に触れさせる在りように、ぼくはあなたを魂から愛さずにはいられない。それは、同一本質をもって、あなたとおなじ知性と愛の意識をもって、生きてきたぼく自身を自分で確認し、あらためて自分に覚醒し、自分を自分で嘉しうる嬉しさとひとつなのです。ぼくはあなたがピアノにたいするのとおなじ「全的意識」をもって、直接的に純粋なものを、愛するに価するものを、はっきりさせようと努力してきたのです。あなたの音楽の本質に打たれるひとは、ぼくの文章にも打たれるはずであることをわたしは期待します。おなじ「純粋な愛」をぼくも示そうとしてきたのですから、全き意識の明晰さ、あなたと同じ明晰さをもって。だから、あなたに打たれあなたを愛することは、こんなにも親密で純粋で、ぼく自身を愛する感動とおなじなのだとぼくには思われます。

あなたほど女性らしい優しさと、男でも難しい意識性を、ひとつのもとして、自己陶酔なく持っているひとをわたしは他に知りません。それはちょうど、ぼくほど繊細な気遣いをもつ者は男にはなく、しかもこの気遣いはぼくの鋭敏な意識性からでているのですが、そういう意識性をもっている男はふつうほとんどいない -ぼくはそういう男に出会ったことはない- のと同じでしょう。いったい男は何をもっているのでしょう。そもそも真の意識性 -ほんとうの知性- がないから真の思い遣り、優しさ、がなく、粗暴な力しかないのが男ではないでしょうか。ぼくの意識性は、男にはほんとうに稀な鋭敏で細かな優しさと、完璧主義に近い知的把握とを、ともに可能にするものです。大事なものはそういう意識性のある神経であって、これが生産的な繊細さでしょう。男性にも女性にも稀なものです。あなたとぼくのような素質と意識は、ほんとうの文化を生みだす貴重でかけがえのないものであるとぼくは確信しています。

知性の技である「明晰さ」は、それ自体が魂の力の表出であり、同時に、クリスタルのように魂そのものの質を透明に触れ得るものにするものなのです。明晰さへの努力によって魂ははじめて己が純粋さを実現するかのようです。








生きることじたいが苦しいとぼくはいつも戦場の兵士のうめきをおもう、「ころしてくれ」と。
この世はなんという残酷な構造をもっているのだ。精魂つくしてはぐくんだ心身を一発の鉛の弾で破壊しうるようにできている。誰もそんな瞬間のために生きているのではない。
こういう世の原理をつくったのは人間ではなく創造主である。






 







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寸記
あの東京マンション事件の強制された引越し準備の日々、自宅で寝れなくてホテルに泊ったり、横浜にまで住居を探しに行ったりしていたが、外出していても、体が電気反応みたいに小刻みに震えたりしていた。遠隔監視されているという感じだった。あの妙な気分は、しかしまだ全然問題ではなかった。その後薬を飲まされてからの身体破壊に比べれば。・・・ いまも、ぼくがこういう「事実」を記そうとすると、焦点にかかった瞬間に〔具体的には、今の場合なら、ぼくが「薬」と文字を打った瞬間に〕、不自然に、時宜を見計らったとしか思えないタイミングで周りがぼくに衝撃音響(人のいきなりの強い咳発作などで)を与え、緊張意識状態にあるぼくの体調や気分を効果的に崩そうとする。いまもそれで、落着いていた生活態勢を崩されたところである。こういう記録・報告は、折ある毎に、止めないで公開しつづけてゆこうと思う。でないと、経験した事実が無かったことになってしまう。