忙しそうにして「ふだんの生活」に気を配らないということは、「作品」を前にして「作品」に気を配らないことと同じである。「ふだんの生活」よりも深いものを学問のなかに虚しく探すことと同じである。大事なことを〈もうすこし後で〉と放棄することと同じである。 結果、すこしも自分の境位は深まらないのである。 学問研究者とは、自分を生きていないで問題を論じる者のことである。 たくさん勉強するだけ自分を生きておらず創造していない。 言葉でも、勉強ではなく創造をすべきである。あるべき方向をただ示すのでなく、自分がその方向を創造を以て生きるべきである。ぼくは充分論じた。無際限な勉強で創造を先延ばしにするのでなく、もう自分を創造する路に入るべきである。 勉強をすこしずつでも続けるのはよい。勉強を否定するのでなく、すでに創造を柱として生きるという決断を、いまここでした。

 

これを書いて、ぼくは自分の『形而上的アンティミスム序説』の企図を思い出した : 

「生に喜びと支えを与える創造のいとなみのために、創造の根源である魂的親密性に心の眼を向けよう。そして、そのような親密性が根差している境、指し示している境へと、精神の扉を開こう。」 (「はじめにあたって」)

この自分の初著の精神をもういちど現前させよう。



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