魂の次元のために闘って生きるぼくは、いま世で云う二極化は、覚悟と決断と、決断への忠実なくしてはありえないことを、知っている。二極化は、世俗のつまらぬ次元に引かれないことであり、実存思想以来訴えられてきている生きる態度である。この実践が熾烈な闘いであるのは、生活空間となっている IT世界に、教養感覚がなく、世俗画像をあふれさせているからである。だからぼくは世間情報はみなくなった。スピリチュアリストがいくら二極化を云っても、教養感覚に基づく決断の心情態度(エートス)がないかぎり、世俗の流行思潮であり、二極化は実現せずに世俗に吸収されるだろうと ぼくは思う。

 哲学を持つとは、決断を持つことである。そういう厳しい態度が、表面上穏和なぼくの自己世界の根底にはある。これについてこれる者は、とくにブログで〈発信〉などしている者のなかにはいない。自分の無教養さを自覚もしないでお山の大将の気でいる世間知らず達だ。それだけならまだしも、夜郎自大に救世主のつもりで他に失敬極まりない馬鹿野郎ども。世間情報同様、断絶してひさしい。