これはきみへの関わりとしてぼくがいつも経験していることだよ。リルケもゲーテもシュタイナーも これいじょうの高みと深みはぼくに教えないはずだがな。 なんのための勉強か、まだるこしいね。

 

 

すべてはあなた自身を確かめるためなのですから、あなた自身の感覚を保ちながらなさるといいわ。 

 

 

自分に、きみに、帰るしかないのだものね。 

 

 

 

それにしても、きみは楽譜を再現する際に、その、形而上的世界を(再現のなかに)入れる。そこまで至れるひとは、きみしかいないだろう。これはもう どうしようもない差だね。天使にしかできない。きみが天使になったのか、天使がきみになったのか。 きみという天使を、ぼくは愛するしかない。その差にどんなに絶望しても。 ときどききみの世界に入ったと思えることが ぼくには恩寵なのだ。

 

 この世は、形而上的意志をつねに引きずり降ろそうとする。そのかぎりで、この意志を保つことは、自己への無条件な命令であり、無条件に厳しいことだよ。この厳しさにぼくは耐えて自分を全うする。それが生きることだ。きみという天使がいるのだからね。

 

 しかしこの世、具体的には、日本は、もうすこしどうにかならないものだろうか。文化への意志があってほしい。令和とはそういうことだ。