ぼくは、自分に必要な知や経験を、多くも少なくも持ってはいない。ちょうど必要なことだけ、いつも持ってきた、と、なぜか思える。自分自身を味わい生きるのに、不要なものは、こちらから巡り会っていない。それで、すこし余裕がでてきた分だけ、不要なものまで少し見聞しているのだが、いやはや、こんなものを知っていなくてよかった、と思うものが案外ある。いまこそ読める、というものももちろんある(これは、いまだから理解できる、という意味と、いまだから距離を置いて 呑まれずに付き合える、という意味とがある)。ともかく、こんなものに興味を持ち知っているような俗物でなくて、ぼくはよかった と思うことが多い。ぼくの賢明さというものは、神さまから観ればささやかなものだろうが、ぼくにとっては充分なものだったのだ。自分の夢を純粋に育むには、無知も知におとらず重要だ。ぼくの夢は、ぼく自身なのだから。 そしてぼくの価値はそこに懸っている。 

 

 

ありのままのぼくを肯定できるのは、そこから創造が出来た分だけである。