目標を達成するために払った努力の辛酸は、人間を謙虚にする。そうぼくは経験している。 論文作成の苦労は、そういうものだった。 だから、学位を取得しても、そういうことはどうでもいいくらい、ただの人間になれたことが安堵だった。 論文の内容よりも、そういう経験、経たものが、ぼくにとっての価値なのだ。 ここを自分でも勘違いしないようにしよう。
みな、そうであるはずだよね。
この後(あと)は、ぼくのための人生だと、思い定めて、きょうまでも生きてきたのだった。 これがぼくの個人主義だ。
努力とは、「神」に面することを知ることである。 そのほかに「謙虚」の場は無い。 他者への謙虚があるなら、それは、「神」に面する謙虚の反映にほかならない。 「謙虚」と「謙遜」はちがう。 「謙虚」はぜひ知らねばならぬが、「謙遜」は余計な虚飾である。