相殺すべき経験がなければ、誇りはしない。ぼくの場合、直接他に危害を加えないかぎり、何を言っても許される境涯だということを心得たうえで書いています。自分の気の済むように書くのが第一義で、他への配慮は意図して排除している。 随分、言語道断に苦しかったからね。身体が達者なうちは、精神的に。精神が持ち直ったと思った頃からは、身体的に。天は、生涯にわたって、ぼくを苦しませ過ぎたのではないか。代償を払わずに得たものはひとつもない。ぼくの場合は、それでも、復活する機会があった。それをぼくは超人的な努力で活かして復活した。これを誇るのは、苦しんだ者には資格がある。そして、それでもぼくを、相変わらず低次元からけなす者には、両性の別なく天罰がある。