自分のことしか書かなくても、意図性を超えた、超越的動機みたいなもの(日常空間においても共時性が起こる基礎だろう)によって、そこに自然に(あるいは超自然的にか)他との関連性が生じることがあるだろう。そこにはぼくの意図は入っていないのだ。そういう、自ずから成る他との関連性については、ぼくは責任を負えない。ぼくの関心はあくまでぼくの個人的歴史性という空間の視座に入ってくるものにかぎられている。これが、「ぼくは自分のことしか書かない」という意味である。にもかかわらず、他が、関連性を読み込むことについては、ぼくがこの欄を書く本筋とは関係ないのである(敢えて本筋と関係ない事柄を書くときには、「欄外」や「特欄」の枠を使う)。 ぼくは自分のことと、ぼくが本質的に関心をもつものいがいのことには、配慮がきわめて無頓着だから、ありていに言えば、誤解されることが多いのだ。だから、賢明さを読者に求めておく。