ぼくは外見が穏やかなものだから、みな判断を誤るのだけど、手に負えない人間なのだ。ぼくのエネルギーの前では真理も溶けてしまう。爆発したら宇宙も消し飛ぶだろう。直接にそういうことはしない。穏やかな外見の裏で沈着にしかし強硬に燃焼させる。ぼくは真理など何とも思っていない。ぼくの意志のほうが強力であることを知っている(ぼくが真理なのであって、ぼくの意志をはなれた真理などないのだ)。これはぼくの特性であるというよりも、人間がほんらいそうあるべきなのだ。そうあるべき人間がすくないから、ぼくの特性のようにみえているだけだ。個とはほんらいそういうものだ。自分にしか従わない。暴君なのだ。デカルトが、アランがそうである。誰も自由にできる人間ではない。意識の、意志の力ひとつでそうなった。特別の人間になろうとしたのではない。しかし稀な人間になった。精神の合理はデカルトのなかにある。彼は主体性の真理を全部自覚したのではない。しかし動かぬ礎を敷いた。これを理解する者は稀である。コギトは、コギトを唱えることのなかにはない(およそ空虚なことだ)。デカルトは不動明王のように自分にのみ従った。それをはなれて彼には真理など存在しなかった。

 もうひとりリルケがそうである。外見など何の規準でもない。