ようやく、「マルテの手記」を読むほど落ち着いてきた。再読になるはずだが、以前読んだことの記憶は、ほとんど思い浮かばない。説明書きをとばして第一頁から読み始めている。読んでぼく自身がどういうことになるのかまったくわからないが、すこし、体質化していたパリが思い出された。記憶の地下倉庫からほんのりとのように。しかしそれは実在だったのだ。いまでもそうだろう。ともあれ、「九月十一日トウリエ街にて」と名づけられた最初の節のひとくぎりの、はじめとおわりの句に、ぼくは今回、線を入れた。「僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。」 「生きることが大切だ。とにかく、生きることが何より大切だ。」 パリに「死」を感じるリルケ(マルテ)が、同時に、「生」への意志を表明している。この、感覚と志向の交錯が、この手記のモティーフではないのか。生とは、ほんらい、そういうものだろう。それを最初から読む者に強烈に印象づける叙述である。