「あれこれの証明の中に常に見出されるところの想像力の混合物に強制されて、気分的懐疑または空想的懐疑とでもいえるような状態に陥ることのないようにするのが極めて大切である。悟性よりも低い位置にいながら悟性を攻撃することは、理解の困難を懐疑の理由とすることであって、一種の恥辱である。すでに述べたように、真の懐疑は、悟性の下にでなく上にあるのだ。」

 

 

「強靭な精神は、知識によってしか生まれない。パスカルがその模範である――もっとも人はパスカルが学んだ事柄において彼に追随することあまりに少なく、彼が破壊した事柄において彼に追随しようとしすぎるが。われわれはだから、疑うまえに、確信をもとうではないか。」

 

 

 アラン「デカルト」より 98-99頁 (みすず書房) 

 

 

 

ここに、実証的形而上学というべき思索姿勢がよく示されている。

マルセルもこの姿勢からすこしも外れていない。なぜ彼があの形而上日記を書いたかの理由である。