ぼくは、健康な頃、ぼくが充実していないことはありえない、というくらい充実を持続させる術を知っていた。それは、思惟による充実である。それに自分をもういちど投げ入れてみよう。 

 

 

 

 

 

読書訓  

 

一行ごとに瞑想へ促せられないなら、それは大した書物ではない。あるいは、大した読み方をしていない。

 

 

 

 

附 

 

愚か者は、自分がどうして嫌われるのか解らず、詭弁を弄する。自己正当化とは、詭弁による自己肯定である。そういう操作を覚えるくらいなら、思想・哲学などやらないほうがよい。

 

 

世人の云うことは逆である。世間知らずなど何の恥ずべきことでもない。自分をほんとうに反省できないことこそ恥ずべきことである。

 

誰でも世間を知ろうとする。そしてそれで自他を判断できるようになるつもりでいる。しかし自分を真に反省できる者など、この世に何人いるだろうか。

 

 

 

 

日本人は、人にたいして無礼な言葉を平気で言うなあ。ドイツ人もそうだ。 フランス人からは、不思議とそういう経験がない。 ぼくは ドイツとフランスを、両方住んで経験しているから、空想や理想化・偏見でない事実を言うことができる。 日本とドイツは、歴史的に同じ舟などに乗ってはいない(ドイツ人に騙されるな)が、フランスのような人間文化水準には到底到っていない。

 どうしてかを、ぼくは明瞭に理解している。日本人もドイツ人も、真の自己意識に目覚めている人間たちではないからである。フランスは、モンテーニュとデカルトを、人間文化土壌そのものから生んだ国である。人間質のちがいは、実際に住んだ者でなければわからない。

 

だからといって日本にデカルトが生まれないとは思わない。ぼくがそれ(デカルト)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教育385位 (25日)