「自我」を得ようとする人間にとって、この世で問題なのは、如何にして、自分とは本質的に無関係な者の作用を否定するか、ということである。この観点からは、人類皆兄弟などという観念は、話にもならない戯言である。 人間はほんとうに孤独なものであり、孤独にならねばならない。 人間を孤独にしておくまいという、愛からでない意志は、最大の悪の根源である。集合容喙など、この意志の発展にほかならない。十中八九の者たちは、これを愛からであるなどという大嘘をついている。自分の心中をまるで解っていないのである。十中八九の者たちは、偽善もいいとこなのである。 

 

 

 

 現代は、孤独を尊重しようにも、孤独の感覚そのものを、時の感覚とともに失ってしまっている。 だからといって、孤独のための闘いは絶対に放棄できない。 ヤスパースのいう「愛からの闘争としての交わり」など、誰も遂行してはいない。彼ほどのレベルの高い人間の思想は、一般化できるものではない。現実にはむしろ、愛のための孤独を護る闘いこそ、絶対的に遂行されなければならないのである。 

 これこそ、人生の教える真実である。

 

 

愛があれば、愛する存在があれば、孤独を護らざるをえない。

 

現代の者のどれほどに、そういう感覚があるか。ないから、闘うのである。   こういうぼくに、君達はついてこれるのか。そういう素質があるか。 現状は、きわめて厳しいことを、証拠だてている。 詭弁はぼくに通じない。ぼくは底の底まで見抜いている。