今年リブログしたとは思わなかった。



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最もぼくらしい節のひとつ 

 

 


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真実の手前までは人はついてくる。真実そのものに達するとそれは

一人の世界である

 

孤独な魂に親密であったものは忘れない

 

 

 


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前節にも書いた理由で、夜中に普通に寝ようという気にならない。

ぼくは自分の中だけにしか生きられない。状況がそうさせている。自分の中でだけは正常に生活しよう。その表現がこの電子欄なのである。いまのぼくには想念の世界がすべてなのだ。

ぼくの中だけでよい。そこにはすべてのものがある。通常人は普通気づかないだろうが(外界に意識が向いているので)、「自分」の内にはすべてのものがあるのである。自分がある、愛する人がいる、神と会う、宇宙がある(想念の中でしか本来ないものばかりだ)。

ぼくの世界は現実無視で成り立っている。ぼくの想念の世界に取りこめるかぎりで、外界の現実はぼくにとっての現実である。取りこめないもの、ぼくの内的(想念の)世界にとって興味の無いものは悉く無視捨象される。(実は誰でもそうやっているはずである。ぼくは自覚的にそうすることが唯一の生きる道であるよう、状況によって強いられている。)ぼくの欄が表現し相手にするものは世の所謂現実の世界ではない。ぼくはいまさらそういう世界に興味は無い。ぼくに真剣な興味があるのは内的な想念の世界のみである。そしてこれのみがほんとうの人間の世界、本来の現実の世界である。私の欄で語られるのはそのような世界のみである(たとえ外的世界の現実が時おり触れられようとも私の内的世界に影を落し得る限りであって、私はけっしてそれに本気では立ち入らない)。内的な世界こそ人間の、私のほんとうの現実である。私はこのものの観方、境位からけっして動くことはない。これが私の領域、責任のもてる領域だからである。



真実の手前までは人はついてくる。真実そのものに達するとそれは一人の世界である。

やっと君とぼくと高田先生の世界だけになれた。


高田博厚先生の、無二の親友マルセル・マルティネとの交流は、マルティネの早世のために比較的短期間のものであるとの印象があるが、先生が渡仏して間もなくから、第二次大戦末期(1944)までだから、十年余りにはおよんでいることになる。これを短いとみるか否かは畢竟主観の問題で本質的意味はない。率直に言うと、期間の長短にかかわらず先生の数多い交友のなかでも最も密度の高く深い、実質にみちたものという感慨を私は懐き続けている。この純粋で気高い詩人劇作家は現在では、先生が予言したようにその作品は忘れさられている。劇作『夜』すら入手出来ず、かろうじて彼の「詩選」翻訳を戦前出版の古書で入手できたにすぎない。『夜』は築地小劇場上演で先生は日本ですでに観ている。渡仏後は、自殺詩人レオン・ドゥーベルへの想いを共有し、また、マルティネの旧友ロマン・ロランとの、政治的立場の対立ゆえに破綻した友情を、先生は間接的に繫いだ。先生にとってロランは「師」であったが、マルティネは掛値なしの「友」であった。ロランは不滅であり、マルティネは忘れられた。しかしわれわれは彼の詩に触れるとき、その予想を超える鮮烈さに驚くであろう。同時に、その巧まぬ率直さの正直のみで成った彼の作品に、一抹の運命的なものを感ずるであろう。しかしそれが何だ? 先生の彼の世界への愛は永遠であろう。こういう真実にわれわれは深く思いを致さなくてはならないのである。殿堂入りと、愛されることとは違う。だからこれはわれわれの(わたしの)尺度ではない。尺度は、「人間」の尺度があるのみなのである。これがわたしの原理である。わたしがなによりも星空のきらめきと春風の微風を愛するのとおなじである。なにがこんなにわたしを惹きつける? 「孤独な魂に親密であったものは忘れない。」この世で、この魂を持っている者はそんなに少数なのであろうか? それとも、孤独であるがゆえに世に知られない、無力な、無数の者たちなのであろうか? わたしはこれを誰に語るのであろう? だがそれはたしかにいる。わたしはそれを感じる。「人間」の究極のもの・・ その存在そのものが愛であるもの・・ 想念である魂











愛は譲るもの、本当にそうか? 違う、自分をけっして譲らないこと。愛する存在のために。なぜなら、譲りたい気持は愛する存在への尊重の感情から当然だ。しかし、苦心惨憺して気づくことは、その気持をもう一歩乗り越えて、愛するがゆえに、その愛をもつ自分のために自分の本心を大事にし、自分を譲らないことなのだ。自分の愛する本心に苦痛をあたえるな、傷つけるな。たとえ愛する存在への尊重と敬意からであろうとも。きみはかならず少しのいらつきを自分のなかに抱えることになる。それは敏感に愛する存在にも伝わる。愛の絆に傷がつくことになるのだよ。自分の本心を譲らず大事にしなさい。それが愛の原点原理だ。