今度の、台風の直後の地震について、このような天災の組み合わせは経験したことがないという感慨を、専門家の人々も言っているようであるが、普通の人々の懐くそのような感慨が人間的にどういう内容のものであれ、集合的容喙現象という、普通ではない経験をしているぼくにとっては、このような気象現象は、あらためて この世の構造について哲学的に反省する契機となっている(9月6日という数字、同時に、皇室の世継ぎの誕生日であったということも、意味づけようと思えば意味づけられないこともない)。
そもそも、ぼくにとって、「人為的」とか「自然的」とかいう観念が、その基礎において成り立たなくなっていることを、告白しておかなければならない。たまには普通の人々も経験するであろう、或る自然現象についての、「かぎりなく人為に近い自然」という感慨を、哲学的に掘り下げることは、まともな思索の営為であるとぼくは思う。ぼく自身が、「人為」であるはずの行為に、人為性を超えたものの作用を感じざるをえない経験を重ね、「自然」であるはずの現象に、自然性を超えたものの作用を感じざるをえない経験を重ねているからである。そこで、軽々しいスピリチュアリストのように預言者ぶる大言壮語は要らない。あくまで地味で堅実な、人間的反省を、つまり哲学的反省を、試みる必要がある。それは、「人為」と「自然」という観念を反省してみて、これらの観念の土台の、はっきり言って、虚構性に気づくことである。そして、これも神秘めかす必要はないが、この世の存在という謎について、もっと心を開くことである。
この覚書を、ここで ひとまず公開する。