「在ること」を意識的に問おうとおもう。
それは行為することではないのだ。「記憶をもつ」ことである。
「愛と美と信仰」のなかに整えられた記憶である。
ずっと問うていることなのだから、そろそろそのなかに落ち込まなければならない。
永遠の現在のなかに時間を凝集させることである。
落ち込むべきものは、じぶんの「魂」である。「在る」とは、じぶんの魂において在ることである。
純粋になることである。純粋になるとは、秩序と調和に至ることである。
「記憶が 魂の純粋な秩序と調和に至ること」、それが「在る」ことである。 それは「記憶の諧和」の状態である。 ここで高田先生に再会する。