弾くことも描くことも、みな、思想に至る緩慢な経験の形成過程だね。そこでは意志も、その過程の一要素にすぎないのだ。そうであることによって、達せられた思想(作品)は、象徴美として、意志を超えた純粋神秘を示すものとなる。 森有正も高田博厚もそれを言っている。
(楽譜どおりに)弾くことと(自分の納得するように)描くことはちがうようにみえるが、美感覚という秩序意識で検証することは同じだ。
美感覚といったが、メタフィジック感覚いがいにそれはありえない。
メタフィジック感覚は「生」の感覚である。この「生」は聖なるものである。
現代において、敬虔さは、このいみの美にたいしてのみある。