6日22時
きみの演奏を聴いていたところだけど、これは書き留めておかねばと思い、遠くに聴きながら書いている。ぼくも過去に数々の恋愛感情を経験し、そのために立ち直るのに一年もかかったこともあるけれども、いま振り返ると、あれは何だったのだろうと、蜃気楼のように頼りない。ぼくの魂に触れるようで触れていなかったのだ。きみの魂への思いは、それらと次元が違う。魂に触れるものをもとめてやっときみと出逢った。魂の愛は、魂が生む芸術を通しての愛で、これがどれほど根源的な愛であるかを、人間一般も、知る者は少ないのだ。
なにが、感情だけの恋愛とちがうのか。それをずっとみきわめようとしている。 仕事する意志、自己同一性の是認の意志、これが深奥(魂)から働いていることが、ちがうのだ、と言うことができると思っている。それなくして魂に触れることはなく、神に面することもない。真の愛は魂から、神から来る。これはけっして観念事ではなく 充溢した人間感覚である。
優れた芸術は 演奏も造形も 鑑賞する側の深化を不断に要求する。
愛はただ受動的感情ではなく、自己同一性を懸けた決断に拠る。その意味で「意志」の参与が、「経験」(体験ではない)すなわち「記憶」とともに必要である。その境位から芸術も創造されるので、芸術が、魂と魂を出逢わせる力をもつのである。
「すべては過ぎ去る。言葉や接吻や、肉体の愛の抱擁も思い出に留まる。けれども、一度触れ合い、もろもろのはかない形象の間で互いに認め合った魂と魂との接触は、けっして消え失せない。」
『ジャン・クリストフ』第六巻
