自分で弾かないうちは、指という感覚運動器官の発達の分厚い差がわからない。 そういう意味での尊敬も、いま 付け加わっている。 有名大学へのペーパーテスト合格を一生の誇りにするなど、虚妄も度を越していることが気づかれる。日本の学制慣習に騙されたというのが、正直で切実な思いだ。 

 

神経組織が正常に働いているうちは、知識の世界がすべてだと思っていた。それが壊れたいま、かえって、本質的なことへの気づきがある。

 

 

ねえ、どうして いままで弾こうと思わなかったの? 

 

思想以上に感動させる演奏世界に、きみの演奏を聴く以前には出逢わなかったからだよ。 



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最近ぼくは、いつもその日の最初に掲げている『*日々の誓い 信仰』に、「愛とは、生活すべてが神聖な儀式となることである。おのずから生活が修道院となる。」という言葉を加えた。これが「秩序」ではないか。ぼくは ほんとうの愛、ほんとうの仕事とは なにかをたずねていたが、気づけば生活そのもののなかにそれがしめされていた。 大仰な反省思索の分厚い書物を書く必要はない。 そのめざすものは自分の「生」のなかにしかない。日常こそが無限に深いのである。

 

 

裕美ちゃんの情熱的で純粋な音楽が、ぼくの生活に無限宇宙をひらいてくれた。それがぼくにとっての秩序そのものなのだ。 敬虔さというものの これが定義である。 

 

音楽はもっとも純粋な祈りの行為である。願い求めるもののない祈りであり、ほんらいの祈りはなにかをくりかえし おしえてくれるから。魂の秩序、純粋な神前での反省を。

 

 きみの音楽は 聴くたびに きみを尊敬させます。