初心 



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生命の賛歌であるような芸術は、健常者には生のよろこびを増し加える。病者には落差を覚え絶望の種になる。よくて現実の忘却(わるいという意味で言っていない)。魂の賛歌、自分への信仰である芸術こそ最も高い芸術だろう。


優しいのはよいが、さらに本気で高貴さをめざす気概があるべきではないか。これは個人の自由の問題だが、美を愛するのであればそう思うはずだとおもう。だらけた軟弱さは美にも品格にも無縁だ。精神の力、強さがなければ美も優雅も、つまり本物の優しさもないことは、すべての真の芸術家が証言している。

力の欠けた、怒ることもできない純粋というものをぼくはリアルに思うことは難しい。純粋とは力、精神の力ではないかと思っている。純粋な精神力こそが純粋の定義だ。此の世の上にみずからを高めることのできない純粋とはそもそも純粋でもなんでもないと言ったら極論だろうか? ぼくは自分の内に純粋を実感する。コギトとほとんど等しい。美をもとめるコギト、美感覚そのものとなった意志、美的コギト、それがぼくにとって純粋の定義だ。ぼくは外見は繊細だが、ものすごく図太い(ふてぶてしいと見える)ものを蔵している。此の世への反骨精神そのものだ。これはぼくの内心の、謙虚であるべきものへの敬虔なほどの謙虚さと全然矛盾しない。人間はけっして自己矛盾的存在ではない。矛盾と見えるもののなかに合理と統一がある。よく探らないから矛盾と映るのだ。ぼくが図太いのは純粋さそのものの本質による。精神力によってこそ人間は〈強い〉のだ。ぼくは純粋だから自分(精神)の内に真赤に燃える活火山を感じる。海の深さと広さ、そして活火山のエネルギーだ。これらすべては全然身体素質によるものではない。純粋に精神の力だ。

(身体の繊細さは感受性の基礎となり、本人の自由な精神力の発現蓄積によって本物の「感受力」となる。精神は屡々環境のみならず身体の脆弱さの齎す苦との格闘によって覚醒し強化される。)