ぼくの最も美しい節の一つ 



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現実とは何か。現実に存在するものは、「思い」のみである。これはいちばんたしかなことであって、現実とは物質的なものではけっしてない。いわゆる物質は感情をもたないだろう。人間にとって、生きているものにとって、感情的な色合いのない現実は現実ではない。現実を外の世界にもとめていっても、われわれがそこで窮極的に得るものは、現実についての感情的な感慨である。外界をどう観ずる(感ずる)かは、あくまでわれわれの自由なのである。ここで、意識は受動的であるとともに、もっといっそう能動的である。非思惟で放念していることは人間をけっして安定させも救いもしない。思惟を、その能動性を意識しつつ働かすことによってのみ、「思い」の内的世界は開けてくるのだ。そして、現実とはそもそも、思惟が措定するものであることを知る。放念の真の僥倖は、思惟を貫く者にとってこそ在る。 そのようにしてはじめて知るのだ、現実とは「思い」でのみあるということを。 ここにはデカルトとメーヌ・ド・ビランとヴァレリーの経験と思想が照応するだろう。

 

 しかもぼくは、自分の内的世界こそ現実であることを見いだすために、彼らをも越えてゆくだろう。 

 

 人間は常に仕事していなければならない。仕事するとは、思惟を働かせることである。 無為の時間を持つな。  人間は常に 思惟 のなかに居なければならない。

 

 人間はつねに思念している   

 

 

 

音楽は自他の魂の共振・諧和である。 ほんらい魂の行為である思惟は、そこにみずからのもとめる開花を見いだす。 それは魂の交わす音叉の響きであり震えである   裕美ちゃんへ  

 

 

 

音叉の美は 根源においてひとつであるもの同士の響き合いである 

もしもまったく一つであるならあの美は生じないだろう 

ひとつでありながら分かれて向かい合い念を響かせ合うことが愛ならば そこに分かれたことの秘義があるのではないか